銀河と四季の道標

綴りたいことは日々あふれるからその溜め処。

拝啓四季様  

"kapuri!"
缶ビールを開けると春の匂いがした。

雪が解けた大地はまだ春眠を貪っていて、案外こんなふうに春は始まるものだと一年ぶりの実感。
それでも庭先の梅の木には薄紅のポップコーンがドングリのように付着している。
薄紅色のポップコーンを見下ろしながらキーを打ち、ビールを飲む。
空腹に沁み渡るビールに全身がしびれる。窓に張り付いた花粉なんか気にしない。

ただ、ただそこに、春が、ある。
僕も生きていて、草木や虫たちも生きていて、そして共に目を覚ます。


"gokuri!"

こんなに月日は経ち、道標を探りながらたった幾年の中でぼくは気ままに1000超もの詩を綴った。
初期のものはある程度の記憶はあるが、中間あたりの詩についてはまるで他人の詩をだまってコピーペーストしたみたいに居心地の悪いものがある。だからといってまったく描いた記憶がないわけではないのだけれど、短い(ながい?)年月の間にぼくは成長したのか、それとも退廃したのか…。多分その結論を導き出せない今の僕がアイディンティティーを得るために始めたころを居心地のよい惰性や見栄、なんかに知らず知らず置き換えてしまったのだ。

"gokuri,gokuri,gokuri"

だからといって全てが変ってしまったわけではない。"銀河と四季の道標"、と、空想瞑想綴りにとりあえずの名前をつけながら、ぼくはそれを続ける中でその一番奥底に潜むものを暴きだした。引きちぎり眼前にかざすと眩しく輝くそれを直視できなくて、また放り投げてしまったけれど。"夏の永遠性" "なかった過去" "少年時代"

そんなものに取り憑かれてしまった時点で、答えが出ない事は明確だったのに、ただその最中にいる事が幸せで。なんとなく現実の世界と二つの輪が重なってしまって。

けれどあるときふとおもった。たとえば夏の画像をネットサーフィンするとき、夏の映画を探したとき、夏の曲をきいたとき。
これだけ夏に焦がれるぼくはもう異常の域に片足を突っ込んでいるのだろうか、もしくはどうしようもない懐古癖なのか…そんなことを思う反面、実はそれを表出するかしないかの違いだけで、案外と夏が軸になっている人は多いのではないかと。

 まあそんなことでアンケート取ったりどうのこうのするつもりはないけれど。ただただ夏が好きという事を今の今まで夏をもとい熱を冷ますことなく引き連れてきた僕に、そしてまだまだありあまる表現したい夏にあふれてぼくは、ぼくは。


 今一度夏とともに銀河と四季の道標の永続性を確信して。おいしいビールを飲み続けたいと思うのでありました。




鹿田 草太




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