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たとえばもし空を飛べてなんなら宇宙さえ理解してしまったとして。

それがなんのためになるのかわからないしもしもこの物語のエピローグがわかってしまったなら生きていく意味がなくなってしまう。そのあとを知りたい…それは結局すべてを知らない前提の自分であるからきっと言えることなんだろう、その決して確証のない暗黙の了解さえ否定されればまたぼくたちの未来に数パーセント陽は射すのかも知れない。温かく熱く暑く痛く、麻痺…否幻想、幻想、幻想の範囲で。(希望的観測、これほどしっくりくるものはない)

極端が真実だったらどうする。結局中立だったぼくらや”普通”が生きるすべとして副次的に代々…代々。

正確に遺伝は由来しないらしい、しかしもって生まれた性格は芯たるところで永劫居座る。最新科学の指し示すものはこのところ諦観がつきまとう。なんだって諦観にさえ”諦(め)”がつきまとっているのだから。いわばいつの時代からも続く永劫の公然の沈黙にすぎず、ユウシャが声を上げたところで押しつぶされる。それが本当に真実で、社会なのですか。こういうことに不安になって文を書いたのが初めてで不安と不穏が付きまとうがさっきに同じくこれはちゃんと名前がついた気持ち、ですか

ですか ですならぼくはまだ0,00001ぱーせんとしかたないって思えるんです。


自分が特別って思わないと生きていけない”風”に人間は作られていてそれは大事なことなのだと悟る。しかしそれを悟った先に教えがない。結局最後は個人なのでありま

そう、だからきっと宇宙は最後の砦なんでしょうってきっとこれこそが公然の事実の沈黙の極み。きっと最先端科学で調べている人だって必死にそれをふしょくしたいよりかそこにいることに安心しているのではないかと疑心暗鬼の公然の沈黙。しかし残念ながらただの偶然なのだ。
明日の朝にたどりついて涙流す
そんな夢を見て目覚めた朝は
それはぼくじゃないのに
ゆめのなかのだれかなのに不思議と
いままでそのだれかだったような心が
心が不思議で
ぼくはまたけさも掌見つめている

けれどその掌はいつもの多汗症の
すこしざらつくいつものぼくので
だけどなんだろふしぎなくらい…
今の僕には恥ずかしくて言えない

そんなことがたまにあって
じぶんじしんのことでもよくあって
遠いいつかの記憶を再体験する
いいところで目覚めてぼくは大人だと気付く
そんなときの
切ないくらいの喪失感は
なんだろなこわいくらい一秒前はそこにいたのに
ふしぎだな

ふしぎだな
秋の切なさに勝てっこないな
なんて
あきらめて思いを吐いて
まだ白けないだけいいななんていって
笑えるくらいだから
まだましだな
秋は何で切ないのかな夏のせいだよ
でもそうやって
それくらいのことならね
結構共感してくれる人はいるはずさ
梅雨をいれたところできせつは5つつ
ましてや夏はそれなりに多勢じゃないかなんて
ぼくは自負しているし(根拠はないけどね)
秋や冬があるから夏の偉大さがわかるなんて
もう何年も自分に言い聞かせてきた

楽しく生きたい
きっと約せばそれなんだろうけれど
空一帯に玉虫色の空間変形
忘れられない夏を、名残のおしい夏を
ぼくの深層心理が投影する
たゆたうように優雅なそれが
見かけによらずに厚く頑丈であって
また今日も僕は
本当の空を覗けずに
結局いこうともしなかったあの影の濃い
緑の濃い好奇心の漂うような草いきれ路地裏
一度立ち止まったのにいかなかった
そこでひとつ夏が停止し
ぬけがらだけで秋にいるような気がしてならない
だからあの黄昏前の夕刻に
香った風さえ捕えられずに
もう取り戻せないという事実だけは
それでもはっきりと理解せざるをえず
貧乏ゆすりが自意識で抑えられないのだ
寒気さえするから風呂上りの夜空は束の間
消える

消える、けれどまた現れる

消える、また消える

あああああと大声を出し体中をかきむしりたいこの気持ちの
せめて名前を教えてください

といったとき
どんなにがんばってもつたえようとしてもがむしゃらに努力しても
キョウカンシエナイモノがあるという事実はもう
今知ってしまったから
いましってしまったのだから!


思い出すたびに背筋を震わせ生きていくしかない余生
そこまで神は知り尽くしていないのではないかはたして
唯一それだけが生きることの道しるべ
生きる意味となるのではないでしょうか

静かなといって鈴虫たちも
夜の流動性をしってとろみのついたところを
音さえ流す
しかしそれはけっして人間へ向けた
敬愛などではない
察したとおもったどこまでか
その勘の違えたところのさきで
奇跡、はあるだろうか

おもえばおもうほどこの夜に
とろみをつけ流動させる虫たちの奏でよ

我々とて
我々とて

そういった思い込みで土足で踏みいられ
種族か、色か、耳や目の大きさか
些細なことだとそれを歌にして
それも静かにさとそうと

聞こえなくもないのだか

我々はそうやって
長い長い年月を繰り返し

勘を違えたことでふと
真たる真実を得て

その端
暗き草むらの
下で、なく、か語るそれたちも
そんなこと思ってるのではないかなと
つきさえ見えないコンビニの駐車場で
思った主観である

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